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紅茶をおいしくいただくためには、第一に自分の好みに合った紅茶を見つけることが肝心です。紅茶にはそれぞれに「香り」「味」「色」の三大要素があります。いろんな茶葉を試してみて、自分に合ったものを探し当ててください。

好みの茶葉が決まったら、次はおいしく淹れるための道具選びです。 茶葉のおいしさを最大限の引き出すには、ティーポットの中で茶葉をよくジャンピングさせることがポイントです。

そのための道具としてティーコジー(ティーコゼー)を使いましょう。これはポット内の温度を保つためのティーポットのカバーです。茶葉を蒸らしている間にポット内の温度が下がってしまうとジャンピングが起きにくくなってしまうのです。ティーコジーで覆って、保温効果を高めるというわけです。

ティーコジーは市販されていますが、簡単につくれるものなので、好みの布で手持ちのポットに合ったものをつくってみてはいかがですか。 ティーコジーの簡単なつくり方をご紹介しましょう。

・ 布をティーポットの横幅に合わせて一周させます。
・ このときポットの持ち手や注ぎ口、フタを含め、さらに余裕も少しもたせます。
・ ポットに合わせたサイズに布を裁断し、端を縫い合わせます。
・ 上部も縫い閉じ、持ちやすいようにヒモなどで持ち手を付けます。

ポットにピッタリのサイズにすると出し入れしにくく、逆に余裕がありすぎるとポットとの間の隙間が大きくなり保温力が弱くなってしまいますので、加減しながらつくってみてください。

嵐から始めよう

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紅茶の国、イギリスでは昔からミルクを先に入れるか(Milk in First=MIF)、後に入れるか(Milk in After=MIA)という論争がなされていました。

ミルクを先に入れるMIFの論理は、紅茶を淹れた後でミルクを入れると紅茶の風味が損なわれるということ。逆に後で入れるMIAは、ミルクを紅茶に注ぎ足す方法だとミルクの量を調節することができるというのです。

これらについては、作家や茶商たちの間でももちろん話題となっており、エッセイなどでさまざまな意見を述べています。 たとえば、有名な茶商のひとつ「トワイニング」はMIF派。ミルクは先に入れるべきだと主張しています。

紅茶自体のおいしい淹れ方には異論はないのですが、ミルクに関してだけは意見が分れたままでした。

なんともイギリス人らしいユーモアたっぷりの論争ですが、この論争にようやく終止符が打たれました。2003年6月24日、英国王立化学協会「一杯の完璧な紅茶の淹れ方」が発表されたのです。

完璧な紅茶の淹れ方は10ヵ条あり、その中の8条目に「最初にカップにミルクを入れ、その後おいしそうな色合いになるまで紅茶を注ぐ」とあります。

理由は、ミルクに含まれるたんぱく質の熱変性によって、紅茶の風味が落ちるのを防ぐためだということです。たんぱく質は75℃以上になると熱変性が起きるため、淹れたての紅茶にミルクを入れるMIAだと急激な温度差が生じ、熱変性が起きやすくなるのだそうです。

これにより、長年続いていたイギリスならではの愉快な論争に幕が降ろされました。

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中国からヨーロッパへ渡ったお茶の種類は、当初緑茶でした。それが、ヨーロッパ人の好みに合わせて不発酵の緑茶から完全に発酵させた紅茶へと変わっていき大衆化していったのです。

イギリスで紅茶が広まったのは1662年のこと。イギリスのチャールズ2世の結婚がきっかけでした。新婦であるポルトガルの王女キャサリンは大変なお茶好きであったため、嫁入り道具のひとつとして中国のお茶と喫茶道具、それから当時では貴重品であった砂糖を大量に持参しました。

王女が好んでいた、舶来品のお茶に貴重な砂糖を入れて飲むという贅沢な飲み方が貴族たちの間で大流行。それが次第に習慣となっていったのです。

イギリスが中国広東から茶葉の直輸入を始めたのは1689年。イギリス最古の紅茶商「トワイニング」の前身「トム」も設立されました。

1721年には中国の茶葉の輸入はイギリス東インド会社がほぼ独り占めし、大英帝国の繁栄のもとになったといわれているこの取引は、1813年に輸入の独占が禁止されるまで続きました。

1730年代に入るとイギリス国内にティーハウスが続々登場。お茶は次第に国民に親しまれる飲み物となっていきました。やがて食料品店で紅茶が売られはじめると、家庭でも手軽に紅茶が飲まれるようになり、市場は大幅に拡大しました。

1813年、当時イギリスの植民地であったインドのアッサム地方で自生の茶木が発見され、それをきっかけに、東インド会社がアッサム地方で茶木の栽培を開始。その後、インドやセイロン(現スリランカ)に茶園がつくられ、大量生産されるようになりました。

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紅茶の茶葉は緑茶やウーロン茶と同様、ツバキ科の常緑樹で、その原種は中国雲南省からチベットやミャンマーにかけての山岳地帯に自生していたといわれています。

当初、中国で不老長寿の霊薬や薬として飲まれていたお茶が、嗜好品である飲み物として一般化したのは6世紀以降のこと。10世紀に入ると海路や陸路のシルクロードを通って中国から中近東へと広まっていきました。

このとき、海路から広まったお茶が「テ」と呼ばれ、シルクロードから広まったお茶が「チャ」と呼ばれた経緯から、今でもインドやトルコなどではお茶は「チャ」や「チャイ」と呼ばれ、イギリスやフランスなどでは「テ」や「ティー」と呼ばれているのです。

ヨーロッパへは、当時海上貿易において世界一の貿易国として栄えていたオランダによってもたらされました。時は16~17世紀のころ、最初は紅茶ではなく不発酵の緑茶が入ってきました。

それが、なぜ紅茶へと変わっていったのかは定かではありませんが、製造業者が買い手の好みに合わせようとウーロン茶系の茶葉を発酵させていくうちに、茶葉が完全に発酵されて紅茶が生まれたのではないかといわれています。

最初にイギリスでお茶が販売されたのは1657年のこと。中国同様、当時は嗜好品としてではなく『万病に効く東洋の秘薬』として発売されていました。

イギリスのチャールズ2世が、お茶好きのポルトガル王女キャサリンと結婚した1662年をさかいに、お茶は徐々に貴族社会に浸透していき、18世紀に入るとさらにその人気が高まっていきました。

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中国がお茶の発祥地であることはご存知ですね。もちろん紅茶もお茶の仲間ですから中国で誕生しました。世界中に広まっているお茶の歴史はすべて中国から始まったといっても過言ではないでしょう。

紅茶の原料は緑茶やウーロン茶と同様、お茶の木の葉。緑茶やウーロン茶とは製造過程での発酵方法が異なるだけなのです。

お茶の起源は紀元前2737年のことになります。

中国史で伝説の人物となっている皇帝、神農(しんのう)氏が山野を歩き回り、そこに生えている百草の一つひとつについて毒か薬かを自らの体で確かめ、その効用を人々に伝えていました。

また、自分が発見した多くの有用な植物の育て方も伝授していました。このような行いにより、神農氏は人々から医薬の祖、農耕の祖などと言われるようになったのです。

ある日、神農氏が百草を調べるために森の中を歩いていたところ、のどが渇いてきたのでお湯を飲むために木陰で一休みすることにしました。神農氏がお湯を沸かしていると、側にあった木から風に吹かれて葉が舞い降り、お湯の中に入ってしまいました。

その葉によってお湯の色がかすかに黄色く染まってしまいましたが、神農氏はそのお湯を飲んでみることにしました。すると途端に心が落ち着いてきて、スッキリとした気分になったのがわかりました。

しかもお湯の香りや味もすばらしく、いっぺんに魅了されてしまいました。 このときに舞い落ちた葉っぱこそがお茶の葉だったのです。

このようにしてお茶が発見されたといわれています。 当時は現在のような嗜好品としてのお茶というよりも、薬として飲まれていたそうです。